身体感覚?ってどういうこと??

水と手

いながき@ありがとうです。

私の作った『エモーションフリー』は身体感覚を利用して感情を解放していきます。
このとき身体感覚って何ですか? って聞かれたりします。

身体感覚と思考の違い

簡単に言えば、苦手なモノを見て、身体がゾワゾワするような感じもそうですし、 高所恐怖症の人が、高いところに上がってクラクラするのもそうでしょう。

頭で考えるのではなく、感覚的に感じてしまうモノです。

頭で考える人は、

苦手な人に会う→それは自分にとっていいことではない→嫌です。

このような思考だけであれば、身体の感覚は問いません。
身体の感覚を伴うと、

苦手な人に会う→お腹が痛くなってきた→嫌です。

思考との違いは、身体の感覚によってどう思うかが出てくると言うことです。

思考だけの人は、身体の感覚を判断に取り込みませんので、ほぼ、即答です。

五感のスピードでは身体感覚が一番遅いので、『苦手な人に会うのは、どう思いますか?』という問いに対して、一度、身体の感覚に問い合わせて回答すると、タイムラグができます。

哲学者ユージン・ジェンドリンは、カウンセラーの質問に対して、身体に一度聞き直して答えている人は、ほぼ良くなると言うことを見つけました。 それをベースにフォーカシングという心理療法の技法を作りました。

身体感覚がわからない人

人間には五感がありますので、身体感覚がわからないというのはちょっとおかしな気がしますが、これは長らく続いている習慣で、そうなっています。

では、どうしてそうなるか?

まず、辛い体験がそうさせます。

辛いから痛みを遠ざけたいという思いです。

子供の頃に殴られた、虐められた、親から怒られたというので、どうしようもなくなって、意識を自分から遠ざけることがあります。

いわゆる客観視です。

良く虐待のケースで見られますが、虐待と認定されなくても本人が辛ければ、そうなります。

客観的に自分を見ることで、痛みが軽減します。

子供的には大成功ですので、あらゆる事を客観的に見ていきます。

そうすると、嫌なことも喜びも、遠ざけてみるようになるので、身体への感覚が薄く感じられるようになります。

しかし、これは大成功なので、継続します。

盆踊りで踊れない問題

盆踊りで踊れない問題が勃発します。

人前で踊ることを恥ずかしいと感じてしまって、自由参加の盆踊りでは輪の外から見ている感じになります。

こうなった子供は、冷めているとか、大人びている要に見えるでしょう。
ですが、本人的にはどうしていいかわからないし、恥ずかしいことはしたくないと言うことで、距離を取っています。

客観視が起こると何がマズいのか?

客観視をすると言うことは、痛みを回避するための手段ですから、その痛みが起こる事象を回避するとしたら、相手を怒らせないことです。

仮に、親から凄い怒られる子供がいたとしたら、兎に角その場を納めると言うことに最大限注力します。

良くやる手段が、謝るということです。スーパーとかで、何が悪いかもわからずに大泣きしながら『ごめんなさい』を繰り返す子供がいますが、それです。

親が、感情的怒りをぶつけてくるので、子供は対処できず、早く納めることをします。

本来ならば道徳的怒りで起こるべきなのですが、できていないと子供は混乱して、相手を怒らせないようになっていきます。つまり、自分を押し殺して、相手が怒らないようにします。

ここまで来ると、楽しいとか、うれしいとかも遠ざけた方が良いと言うことになります。
余計なことをして、また怒られるよりも、相手に合わせて痛みを回避した方が平和です。

結果として、子供は自分を殺し、相手の望むことをするようになります。

だから、いい子供って、結構マズいんです。

親に気を遣う子供の大半はもうそうなっています。

自分を押し殺しているので、現実を捉える感覚が薄くなっていますから、喜びも減ります。

つまらないとか、意味がないなんて思うことが増えます。
身体の感じが薄いので、やってもいないことでも、頭で考えて答えを出す習慣が出来上がります。

正解を求める

頭で考えるのがメインになっていくと、あらゆる情報を集めることになります。

もちろん、それは正解をやらなければ、また痛みが来るからです。

そして、思考でも問題がないくらいの判断ができるようになり、それが自分だと思い込みます。

実際、日常の受け答えは問題ありませんし、大きなトラブルもありません。

そして、間違ったことを恐れるあまり、行動が制限されていきます。本人は気がつきません。

だから、未経験のことや、相手がいることについて、消極的になります。

わからないことは鬼門となっていきます。

そして、大惨事が起こる

大体年齢にしたら成人して以降くらいになりますが、結局の所、抑圧があって本来の自分を生きていないということです。対処できる範囲の抑圧ならば問題ありませんが、対処できなくなるから問題です。

何が自分なのかわからなくなる人もいます(自分でないものを生きていたため)。
仕事が回っているうちはいいのですが、何か思い通りにならない、失敗するという経験が増えてくると、どうしていいか、わからないと状態へ進みます。

ここで自分探しに旅立つ人もいます。自分探しなんて無駄なのでやめた方がいいですが、わからないので、仕方なく探求の旅に出ます。占いやスピリチュアルに進む方はその傾向が強いです。

そして、壊れてしまう人もいます。頭は大丈夫でも、身体に出る人、精神に出る人など、その人の特性で弱いところに出ます。

この苦しみは、今までのツケなので、消化して元へ戻ればいいです。 ただ、消化の時間は人によって違うし、方法もまたそれぞれです。

生きているうちに消化できるかは本人次第ですし、消化している時間はあらゆる事が停滞しますので、同級生において行かれる感じになります。プライドが高いとそういうのも嫌がって焦る傾向にありますが、モノには順序です。

身体感覚がわかると、短時間で回復します。

脳は比較的単純です。

今までの世界観を壊してしまえば、新しい世界観でものの見方を再構築していきます。

客観視にならざるを得ない状態で、否定的な思考だとなかなか状態が変わるのは難しいですが、人間には身体感覚が元々備わっています。

どう感じるかを忘れてしまっていることもありますが、何度もトライして感覚がわかってくると、いい感覚はそのまま受け取って、嫌な感覚は遠ざけて受け取るなんて事ができます。

脳への刺激が思考だけではなく、身体感覚が加わると現実の世界がカラフルに見えてきます。

もちろん、最初のうちは失敗もあるかもしれませんが、徐々に慣れていきます。

そうすると考えることが変わっていきます。

一番いいイベントは、恋愛で、恋愛の中で喜びを感じること、自分を大事に思ってくれる人の存在を感じることは、世界を広げることにつながります。

身体感覚を取り戻すと、セラピーは劇的に進む

当たり前のことですが、身体感覚を取り戻すと、いわゆるセラピーは劇的に効果を発揮します。

なぜなら、脳は五感の感覚を信じます。思考(大抵は頭の中の声)のパターンに対して、心地よいとか嬉しいという、身体から上がってくる信号が混じることで、その混乱を収めなくてはならない状態になります。

人は、そんなとき良い方を取りますので、ネガティブな思考が消えていきます。

五感を取り戻したいなら、私のやっている『活きるためのNLP』なんて、そこをターゲットにしていますのでいいですよ。