自己価値が低すぎる人って・・・

自己価値

いながき@ありがとうです。

自己価値が低すぎる人って結構いますが、やめちゃえばいいんですよね。

価値のあるなしなんて、立ち位置で変わるし、大抵思い込み。

何かができなくても、場所が変われば凄い人って結構いるし、自分に合った場所に移動すればいい。

感情解放セッションだと、原因はアレだから、意外とすぐに外れる。結構、驚かれます。

最近だと5分はかからないね。

ただ、思い込みを外したところで、実際は変わらないんです。変わるのは行動。

その行動で、できる集めをすると、自信につながっていきます。

何もしなければ、自己価値について考えなくなるかもしれませんが、前進はしてませんね。

しかし、気持ちが上がっていれば、考えること行動することが変わります

結果として、笑っている時間が増えたり、相手に怯えたり、失敗をシュミレーションする回数が減るので、楽しいです。

私の場合は、悩むという行為そのものをやめてしまったので悩まないし、落ち込むことはここ10年やめるようにプログラムしてあるので、でてきません。

人は、無意識の行動や思考をどっち向きにするかプログラムできます。

当然、やった人の方が人生は適当です。だから、思い詰めたり、妙に完璧主義になったりしなくても大丈夫って思えます。

失敗したって、リカバーすればいいし、リカバーできなければ新天地に行くでもいいんじゃないかと思います。

緩い生き方ができれば、平和です。

その為には最低限、必要な知識は覚えないとね。そして、実践です。

多くの人は、本を読んでも身体に染みつくまでやりません。こういうのを無駄と言います。

これはいい! って思えたことなら、最後までやり通すといいです。

ちょっとできないとか、ちょっと失敗したで諦めてしまうと、常に諦め、常に逃げ、うわべの言葉にイライラしながら人間関係を作っていきます。

やがてストレスは全身に広がって、思考や行動が、常態不幸になります。

流れを変えるには、ちょっとした体験と思考です。

私のセッションを受けて、それを体験した人は結構いますね。

偽物の夢は消えて無駄な努力はしなくなります。

生きたいように生きればいいんだから。

悩まないようにするために

考える

いながき@ありがとうです。

悩んでいる人は多いようですね。
望みと現状の狭間でいろいろ考えるようですが、結構意味がないので、決断して欲しいなぁと思っています。

理由は単純で、やりたいならやった方が楽しいから。

私は比較的悩まない方ですから、その方法を書いてみますね。

まず、選択肢がたくさんあると思いますが、これを減らします。
2つまで絞り込めればどちらかに決めるだけです。

人が悩むときにやってしまうのは、現実的でない選択肢を、選択肢として並べてしまうことです。

これをやると選べないだけでなく、選択という行為ができなくなります。
もちろん、すばらしく良くなりたいとかわかるのですが、その為にかかるコストがどれくらいなのか?
選択をしてすぐに行動ができないとしたら、その選択に迷いが生まれます。

選択肢を減らすために、1番目は、現実的かどうかです。

次に、複数の選択肢を減らすために、今必要な選択かどうかを見極めます。
これは時間的に今決断すべきなのかです。

今お昼御飯を選ぶのに、明日の話をしても無理があります。

選択肢を減らすために、2番目は、今必要な選択かどうかです。

大抵はここまで来ると選択肢は少ないです。

ですが、更に一つポイントがあります。

選択したら初志貫徹。人間は迷うものですが、1度選択という行為をしたら条件が変わらない限り選択を変えないことです。

時間がある限り最良を選びたいというのはわかりますが、コロコロ選択を変えても、また変えるんです。
時間ギリギリまでやって、時間が過ぎて選んだ後も、ああだこうだって考えてしまいます。
そして、違う選択をした方が良かったのではないか? なんて思うようになります。

でも、1度選んだのであれば、それがベストだと思うことです。

選択を変えないようにする、決めたことをアレコレ考えないようにすることで、次の選択に集中できます。

良い選択をする、3番目は、初志貫徹です。

初志貫徹を繰り返すことで、1回の選択の精度が上がっていきます。
決めたら悩まないようになります。

毎日は新しいことを考えるよりも選択が続くことの方が多いです。
選択ができない場合、情報や内面を整理していくと選択肢が明確になります。

今、何を選択しますか?

身体感覚?ってどういうこと??

水と手

いながき@ありがとうです。

私の作った『エモーションフリー』は身体感覚を利用して感情を解放していきます。
このとき身体感覚って何ですか? って聞かれたりします。

身体感覚と思考の違い

簡単に言えば、苦手なモノを見て、身体がゾワゾワするような感じもそうですし、 高所恐怖症の人が、高いところに上がってクラクラするのもそうでしょう。

頭で考えるのではなく、感覚的に感じてしまうモノです。

頭で考える人は、

苦手な人に会う→それは自分にとっていいことではない→嫌です。

このような思考だけであれば、身体の感覚は問いません。
身体の感覚を伴うと、

苦手な人に会う→お腹が痛くなってきた→嫌です。

思考との違いは、身体の感覚によってどう思うかが出てくると言うことです。

思考だけの人は、身体の感覚を判断に取り込みませんので、ほぼ、即答です。

五感のスピードでは身体感覚が一番遅いので、『苦手な人に会うのは、どう思いますか?』という問いに対して、一度、身体の感覚に問い合わせて回答すると、タイムラグができます。

哲学者ユージン・ジェンドリンは、カウンセラーの質問に対して、身体に一度聞き直して答えている人は、ほぼ良くなると言うことを見つけました。 それをベースにフォーカシングという心理療法の技法を作りました。

身体感覚がわからない人

人間には五感がありますので、身体感覚がわからないというのはちょっとおかしな気がしますが、これは長らく続いている習慣で、そうなっています。

では、どうしてそうなるか?

まず、辛い体験がそうさせます。

辛いから痛みを遠ざけたいという思いです。

子供の頃に殴られた、虐められた、親から怒られたというので、どうしようもなくなって、意識を自分から遠ざけることがあります。

いわゆる客観視です。

良く虐待のケースで見られますが、虐待と認定されなくても本人が辛ければ、そうなります。

客観的に自分を見ることで、痛みが軽減します。

子供的には大成功ですので、あらゆる事を客観的に見ていきます。

そうすると、嫌なことも喜びも、遠ざけてみるようになるので、身体への感覚が薄く感じられるようになります。

しかし、これは大成功なので、継続します。

盆踊りで踊れない問題

盆踊りで踊れない問題が勃発します。

人前で踊ることを恥ずかしいと感じてしまって、自由参加の盆踊りでは輪の外から見ている感じになります。

こうなった子供は、冷めているとか、大人びている要に見えるでしょう。
ですが、本人的にはどうしていいかわからないし、恥ずかしいことはしたくないと言うことで、距離を取っています。

客観視が起こると何がマズいのか?

客観視をすると言うことは、痛みを回避するための手段ですから、その痛みが起こる事象を回避するとしたら、相手を怒らせないことです。

仮に、親から凄い怒られる子供がいたとしたら、兎に角その場を納めると言うことに最大限注力します。

良くやる手段が、謝るということです。スーパーとかで、何が悪いかもわからずに大泣きしながら『ごめんなさい』を繰り返す子供がいますが、それです。

親が、感情的怒りをぶつけてくるので、子供は対処できず、早く納めることをします。

本来ならば道徳的怒りで起こるべきなのですが、できていないと子供は混乱して、相手を怒らせないようになっていきます。つまり、自分を押し殺して、相手が怒らないようにします。

ここまで来ると、楽しいとか、うれしいとかも遠ざけた方が良いと言うことになります。
余計なことをして、また怒られるよりも、相手に合わせて痛みを回避した方が平和です。

結果として、子供は自分を殺し、相手の望むことをするようになります。

だから、いい子供って、結構マズいんです。

親に気を遣う子供の大半はもうそうなっています。

自分を押し殺しているので、現実を捉える感覚が薄くなっていますから、喜びも減ります。

つまらないとか、意味がないなんて思うことが増えます。
身体の感じが薄いので、やってもいないことでも、頭で考えて答えを出す習慣が出来上がります。

正解を求める

頭で考えるのがメインになっていくと、あらゆる情報を集めることになります。

もちろん、それは正解をやらなければ、また痛みが来るからです。

そして、思考でも問題がないくらいの判断ができるようになり、それが自分だと思い込みます。

実際、日常の受け答えは問題ありませんし、大きなトラブルもありません。

そして、間違ったことを恐れるあまり、行動が制限されていきます。本人は気がつきません。

だから、未経験のことや、相手がいることについて、消極的になります。

わからないことは鬼門となっていきます。

そして、大惨事が起こる

大体年齢にしたら成人して以降くらいになりますが、結局の所、抑圧があって本来の自分を生きていないということです。対処できる範囲の抑圧ならば問題ありませんが、対処できなくなるから問題です。

何が自分なのかわからなくなる人もいます(自分でないものを生きていたため)。
仕事が回っているうちはいいのですが、何か思い通りにならない、失敗するという経験が増えてくると、どうしていいか、わからないと状態へ進みます。

ここで自分探しに旅立つ人もいます。自分探しなんて無駄なのでやめた方がいいですが、わからないので、仕方なく探求の旅に出ます。占いやスピリチュアルに進む方はその傾向が強いです。

そして、壊れてしまう人もいます。頭は大丈夫でも、身体に出る人、精神に出る人など、その人の特性で弱いところに出ます。

この苦しみは、今までのツケなので、消化して元へ戻ればいいです。 ただ、消化の時間は人によって違うし、方法もまたそれぞれです。

生きているうちに消化できるかは本人次第ですし、消化している時間はあらゆる事が停滞しますので、同級生において行かれる感じになります。プライドが高いとそういうのも嫌がって焦る傾向にありますが、モノには順序です。

身体感覚がわかると、短時間で回復します。

脳は比較的単純です。

今までの世界観を壊してしまえば、新しい世界観でものの見方を再構築していきます。

客観視にならざるを得ない状態で、否定的な思考だとなかなか状態が変わるのは難しいですが、人間には身体感覚が元々備わっています。

どう感じるかを忘れてしまっていることもありますが、何度もトライして感覚がわかってくると、いい感覚はそのまま受け取って、嫌な感覚は遠ざけて受け取るなんて事ができます。

脳への刺激が思考だけではなく、身体感覚が加わると現実の世界がカラフルに見えてきます。

もちろん、最初のうちは失敗もあるかもしれませんが、徐々に慣れていきます。

そうすると考えることが変わっていきます。

一番いいイベントは、恋愛で、恋愛の中で喜びを感じること、自分を大事に思ってくれる人の存在を感じることは、世界を広げることにつながります。

身体感覚を取り戻すと、セラピーは劇的に進む

当たり前のことですが、身体感覚を取り戻すと、いわゆるセラピーは劇的に効果を発揮します。

なぜなら、脳は五感の感覚を信じます。思考(大抵は頭の中の声)のパターンに対して、心地よいとか嬉しいという、身体から上がってくる信号が混じることで、その混乱を収めなくてはならない状態になります。

人は、そんなとき良い方を取りますので、ネガティブな思考が消えていきます。

五感を取り戻したいなら、私のやっている『活きるためのNLP』なんて、そこをターゲットにしていますのでいいですよ。

解放がうまく行かない理由

女性

いながき@ありがとうです。

感情解放がうまく行かないときに、幾つかの点を注意するとうまくいくことがあります。

問題がズレている

まずは、そもそもの問題を見つける方法に難があって、問題がズレている場合です。

通常、クライアントの話を聞いて問題を特定していくと思いますが、それでは歪曲されたクライアント目線の情報しか集められません。そうすると、クライアントのセラピストを仲間にしたい、擁護して欲しいという意図が入ってしまう場合があって、正しい情報とは言えません。

もちろん、良くなりたくないというクライアントは平気で嘘を言います。本人の自覚はありませんので、そこを改善しないとうまく行きません。

だから、客観的事実のみを集めて問題を探す方が確実です。

良くなることを拒否する

人には、いろいろな意図が混在していますが、そのうちの幾つか、それも強いモノが別のメリットのために、良くなることを拒否している場合があります。本人の拒否はセラピストのあらゆる作業よりも強いので、それを変えない限りうまく行きません。

環境的にずっとやってきている場合が多いので、その考え方そのものをしなくても済むんだという風に理解することで消えていきます。

最上級は大事な人に愛されることなんです。

身体感覚がうまく機能しない

知らない人には結構難問なのが、人はそれぞれ違うと言うことです。

問題が違うとかそういう意味ではなくて、五感の使い方が違うと言うことです。 だから、本来身体で感じられるモノがあれば、それをきっかけに変わることが出来ますが、感じる力が弱すぎるか、遮断しているので、その信号が脳へ到達しません。

結果として、変化がわからないと言うことになります。

これは思考タイプに多くて、何事も感覚ではなく頭で考えてしまうことにより起こります。

大抵は、こんな順番で起こります。

  1. 子供の頃に辛い目に遭っていて、何かの拍子に自分を客観視する。
  2. 客観視することによって、痛みが軽減して、大成功となる。
  3. それ以降すべてを遠ざけてしまう(痛みが減るという大成功のため)ようになり、良いモノも悪いモノも遠ざけてしまう。
  4. 入ってくる情報が少ないので、思考で補う癖が形成される。
  5. 身体の情報に頼らずに思考だけで正解を出すため、身体のストレスを無視する傾向となり蓄積。

ここまで進んでいくと、あとは蓄積が限界を超えると鬱とかパニックになるようです。 セラピーを受けても、思考で解釈しようとするため、身体の感覚の変化を無視するので効果が実感できず、これは効かないという認識をしてしまいます。

この場合は、最初からセラピーをしようとせずに、まず身体の感覚を取り戻すことをします。

実際、メンタル的にどん底になって、ヨガをして復活した人をたくさん見ていますが、そういうことです。

身体を意識して生活すれば、不快な感じを追い出して快適になっていきます。

セラピーが効かない人は、その不快な感じすらもよくわからないので、見た目問題なさそうでも、限界を超えると症状が出ます。

キャパシティの小さい人は意識して身体を感じる練習をしましょう。

大人になれば、嫌なことは客観視でいいです。 幸せや愛されていると言うことは主観的に、主人公として感じましょう。

そうするだけで、毎日はカラフルに見えてきます。 味覚や嗅覚も復活してきます。
なんだか言葉には出来ないけれど、うれしかったり、楽しかったりしていきます。

今、きついと考えているの人は、是非、私とコンタクトしてみて下さい。

毎日が同じなら悩まない

選択肢

いながき@ありがとうです。

人が悩むのは選択するタイミングが来るときです。

何かをやるとか、何かが決まっていなければ選択肢から選びます。
どうするか、やり方を考えます。

でも、何をどうするかであれば、するかしないかです。

人は選択肢がたくさんあればあるほど悩みます。

1メニューのお店に行けば、それを食べるか食べないかだけですが、たくさんのメニューがあれば選ばないといけません。

私の場合は、最初に数を減らす! から入ります。
これは比較的悩まないための手法です。選択肢が減れば、あれこれ考える必要はありません。

毎日の選択肢を減らしたとしても、日常は回ります。

いい例が、朝のルーチンです。
朝起きてから仕事に行くまでの流れは大抵同じです。
時間も限られているので、そのなかでやるべきことをこなしていかないと遅刻です。
逆に、休みの日は縛りがないので、何をしようかウダウダ考えてしまったり。

だから、毎日やることは大抵決まっているので、先にそれをやると決めましょう。
やらないと毎日が回らない内容だから、仕方なしって感じでいいです。
睡眠も同じです。

すべての作業には所要時間がありますので、それを24時間に割り当てていきます。

残った時間が自由時間で、そこに新しくやるべきことや、人と会う時間を割り当てます。

こうすると、必然的にやるべきことがそこにあって、どうでもいいこと(TVやネットをダラダラ見るなど)が居場所を失います。

時間が残っていないので、できないって流れですね。

もちろんそれぞれの作業の時に、『やりたくない』が出てくる場合もあります。
そこはやらないくても問題が起こらなければやらなくていいです。
仕事は行かないとまずいので、やりたくなくても行動しますよね?

あるのは、優先順位です。

やりたい、やりたくないだけで生きられる人はいません。
立場があって、そこで優先すべき項目があります。

それはマストだと思ってやるしかないです。

1日のうちに、やるしかないことは選択肢になりません。絶対ですから。

そうすると、そこで悩む必要はありません。これが習慣です。

悩む必要がないから、考えないで行動する。
考えないから、行動が安定します。

好きなことをして生きていってもいいですが、優先順位を間違えると痛い目に遭いますので注意ですね。